2008年6月17日火曜日

ありがとありました

先日拝見した、井上ひさしさん作「父と暮らせば」という小松座のお芝居のなかに、「ありがとありました」という台詞がありました。
終戦直後の広島の方言と思われますが、この言葉の出てくる場面が焼きついて離れません。


そのお芝居、父と娘・広島と原爆のお話です。
心がねじりあげられるように涙したのは、原爆投下という歴史的事実や、登場人物が暮らしてきた状況が悲惨で苦しいものだから、ということだけではないと思いました。

勿論その状況だからこそとも言えるのですが、父は娘を娘は父を、本当に思いやっている、そのどうしようもない想いが言葉の端々や体の動きににじみます。

この互いの想いが苦しいくらい大きくて大きくて。そして、その大きさはその人自身の強さに見えました。更にその思いや強さが、決して歴史の中のことや人事ではなく、一観客である自分の中に何度も強く響いてきました。

こんなに温かい二人を苦しめる原爆への憤りは途方もなく感じましたが、それ以上に、そんな状況のなか負けないで、まるで当たり前のように強さを増す、父娘が想いあう気持ちに心の底からしぼられました。


この舞台の感想を書くのは恐れ多いです(書いといてなんですが)。
その、敬遠ではなく、言葉にしたいようなしては申し訳ないような気持です。 あの作品で表現されていることは、きっとあの舞台のお芝居という形をもってこそ表現されるのだろうなという、嬉しいあきらめですかね。でも、正面からぶつかって言葉にしたい気持もありまして、ちょこっと書きました。

青二才が偉そうにすみません。
拝見できて本当によかったです。

私はといえば、父の日にも大したものは上げられず、まだまだ迷惑をかける一方の娘です。父が元気でいてくれたら、それで十分。なんて、親孝行気分の娘は何日続きますか。またすぐに迷惑かけて怒らせて。

いつかいつか、どなたかに言ってみたいです。 本当に優しくて好きな響きの言葉です。

「ありがとありました」